快気祝いの体験談
派遣先で重宝されていたのですが、入院が決まるとアッサリ解雇されてしまいました。派遣社員としては結構良いお金を頂けていただけにショックは大きく、中にはメールをくれる派遣先の正社員もいるのですが、用件は仕事の引き続ぎに関すること。 長期間の入院なら解雇されても納得出来るのですが、短期間の入院で解雇はあまりにも酷、退院すると派遣会社の人が「快気祝いはどうする?」と聞いてきたため、「渡さないとマズイですかね」と答えると、「迷惑を掛けたからね」。 初めての入院だったため、快気祝いの意味をネットで調べると、お見舞いに来てくれた人に病気が治った報告と感謝をすることとあったため、私のところには誰も見舞いに来てくれなかったことを派遣会社の人に話すと、「会社のほうにお見舞いが届いていたよ」。 誰から届いたのか何が届いたのか分からず、次の派遣先が良い所になるには派遣会社の機嫌を損ねるわけにはいかないため、元派遣先に快気祝いのギフトを送りました。 これから通院するのにお金が掛かるというのに、快気祝いのギフト代は痛い出費、次の派遣先が少しでも早く決まるよう派遣会社に連絡をすると、「見付かったら、こちらから連絡をするね」と迷惑がられてしまいました。 自分でも働けそうな仕事を探していると、私を元派遣先の部長さんが「体調はどう?」と電話をくれたため、迷惑を掛けたことを詫びると、「来月から来られる?君を正規雇用することになったから」。 今までは派遣会社を介してのやり取りだったのですが、快気祝いのギフトを送った際に自分の連絡先を記していたため、部長さんは私のところに電話をくれたのです。
私が病院を訪れたのは面会時間がとっくに過ぎた午後11時、消灯の時間のため病院内は薄暗かったのですが、トイレの前だけは明るかったです。 トイレの前に置いてあった長椅子に座っていたのが私の高校時代の恩師、先生に会うのは卒業以来40年ぶり、当時の先生は大学を出たばかりで筋肉隆々だったのですが、椅子に座っていた先生は認知症も患っているのか弱々しく感じられ声を掛けることが出来ませんでした。 病院を訪れてから3ヶ月程が経った時に、実家の兄から私宛の荷物が来ていることを知らされ取りに行くと、先生からの快気祝いでした。 先生は認知症ではなかったのか?先生は私に気付いていたのか?その時に涙が溢れたのは昔のことを思い出したから。 高校最後の大会の時に撮った集合写真の中に私がいないのは、暴力事件を起こし大会に出られなかったから。先生のお陰で退学は免れたのですが、今まで先生に謝罪を1度もしていない、病院で先生に声を掛けられなかったのも謝罪をしていないのも勇気がないから。 先生から届いた快気祝いは洗剤の詰め合わせギフト、そして中古のボール、40年間一度も握ることの無かったボールでしたが感触は覚えていました。 40年ぶりに部活仲間に連絡をすると、タオルや芳香剤など先生から届いた快気祝いのギフトは人それぞれ、私に洗剤を送ってくれたのは、辛い思い出を洗い流せと言ってくれているのでは? 快気祝いに同封されていた手紙にはただ一言「待っているぞ」、それからは夏と冬には先生にギフトを送るようにすると、先生のご家族から小包が送られてきて、中に入っていたのが素振りをしている先生が映った写真、現在はその写真を肌身離さず持っています。
昨年の夏、親友と呼べる友人が急性胃腸炎で入院しました。入院自体は1週間で終わるということでしたが、独り身であり、家族も遠方に住んでいるため、あまり頼りになる人が周りに居ないという状況だった友人。近くに住んでいたこともあり、必要なものを持って行ったり、洗濯物を回収したりと身の回りの世話をしました。 結果的に予定より長い入院生活にはなってしまいましたが、退院後、お世話になったから、と快気祝いを持ってきてくれました。 その友人、性格が卑屈というか少しアングラな部分を持っているせいか、プレゼント等をくれるときはいつも少しネタっぽいというか、自虐っぽいものが多かったのですが、快気祝いに選んだギフトは「海外のおしゃれな洗剤」。いつもと系統が違うので驚いていると、「入院中の生活でただひたすら君の存在が助かったから、素直に感謝の気持ちを伝えたかった」とのこと。 思い起こせば過去にも、お礼としてくれるギフトはいつも素直なものになっていたことを思い出しました。 少し癖のある友人で、仲良くなる人を選ぶ人間の友人とこれほど仲良く関係を続けているのは、その本当に思いを伝えたいときは素直なギフトをくれる、根本の素直さを思い出すきっかけになりました。